文化猫類学サロン

11月に、私はやっぱりブリコラージュに惹かれるんだな、レヴィ=ストロースは偉大だな、文化人類学って必要だなって思いが頂点に達し、
12月に、よし、先生に会いに行こうって、決めて、
1月に、卒業以来初めて、研究室のドアを叩いた。

(緊張し過ぎてドアの前で逡巡してたら、センサーライトが暗転して心が折れて引き返し、いやいやここまで来たんだから!勇気が大切って教えてもらったでしょう?って自分を叱咤して、やっとかっと。)

ドアを開けて名前を名乗ると、「ああ、猫のね」ってあっさりと。
え、私、昨日までここにいたっけ?と思ってしまったよ。
「おもしろい本があるんだよ、今度、イベントしようと思っててさ。
参加したらいいんじゃない?」
まるで10年前の続きのようにぽんっと本を手渡されて。
「参加します」
って言っちゃった。

手渡された本は、ジャン=クロード・レーベンシュテインの「猫の音楽」。
”理解はできないけど、受け容れる”
梨木香歩さんの本に出てきた言葉。
去年、何度心の中で繰り返したことだろう。
そこから少し進んで「語る」ということについて考えていた私にとって、読めてよかった一冊だった。

その本を抱えて二ヶ月後に再び熊本に飛んで、勇気を出して扉を開けて入った「文化猫類学」は、
普段はただ通り過ぎていたかもしれない人たちが、ふと立ち寄って同じ時間を共有し、集ってよかったという思いをみんなが密やかに抱きながら帰る、後にはなんにも残らない、さながら猫の集会のようだった。

やっぱり猫を通してこの世を眺めるのはおもしろいな。
なんだかもうずっと遠くに来てしまって、過去の私はいなくなってしまったかのように思っていたけど、私は確かにここにいて、学んでいたんだな。
久しぶりに大学のキャンパスを歩くと、過去の私には容易に会うことができたから、、
だけど、10年分成長して急にその場に乱入した自分がどこか異物であることも確かで。
過去の自分と今の自分が出会って、それを客観的に眺めるもう一人の自分がいるような、不思議な感覚。

それから、先生が友だちの坂口恭平さんに会わせてくれた。
恭平さんは、本当に不思議な人だった。
なぜってね、尊敬の念が全く沸いてこなかった、、、て、失礼か。違うんです。私はね、恭平さんの東京のワタリウムでの展示にも、著作にも、影響を受けている、と思っているし、恭平さんのTwitterの言葉に救われることもたびたびある。どんどん先に行っている人で、私がごちゃごちゃ考えているようなところには全然いなくて、それなのに、たまにこっちまで降りて来てくれて言葉を発してくれるから、ありがとうて思うときがたくさんある。
そんな人が、目の前に、現れて、話しているのに、この平常心はなんだろう!
近所の兄ちゃんがなんか面白いこと言ってるなって聴けてしまう、そこが、すごい人だなぁと思った、思ったんです、本当に。
恭平さんは徹底的に「個人」だ。
それって、なかなかできそうで、できない。
人は、つい群れてしまうものだし、同調意識を押し付けてしまったりするものだし、人の夢に乗っかったり、挙げ句神様扱いしてしまったりする。でも恭平さんは、そっかー!がんばってね!私も私でがんばるわ!て思わせてくれる。本当に、自分が楽しいから、自分が楽しいことをしているだけで、誰かが気づくことになったり、動き出すことになったりするなんて、それっていいなぁ って。

恭平さんは、
「なんか、書けよ」
「俺は、本を書くことしか興味がない」
て言っていた。

あと「働いた時点で 終わる」って。





そう、そう、場所は、くすのき会館でした。まさかね、再びこの部屋に入る日が来るなんてね。なにが起こるかわかんないね。大学のキャンパスでは、相変わらずジャンベが鳴り響いてた。

f0359927_16134274.jpg

[PR]
by geroken | 2015-02-27 16:45 | 日記 | Comments(0)